キリスト教教育

キリスト教教育

敬・愛・信・義

兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
(ローマの信徒への手紙12章10−12節)

「敬」とは神様を敬うことです。神様は大自然の全てと人間を創造され、人間を導き救う根源者です。自然界の精緻な美しさは、その造り手である神様の偉大さを示しています。それ故人は昔から自然を敬い大切なものとしてきましたが、私たちはさらにもう一歩踏み込んで、まず、全ての造り主にして根源者なる神様を正しく敬うことこそが、私たちのなすべき第一と考えます。このことを会得するために学校礼拝があります。そして神様を敬うとは、まず神様の御心・ご意志を、聞くことではないでしょうか。そこで礼拝時には必ず聖書が読まれ聖書の説きあかしがされていくでしょう。この時間を学園生活の中で、最も大切な時間とししてほしいと願っています。

「愛」とは、自分を愛するように人々を愛することです。聖書では「愛」を「仕えること」とほとんど同義に用いています。私たちが全世界の人々と、この地球において平和に生き願うとき、「仕え合う愛」なしに共存することはできないでしょう。イェス・キリストが言われた言葉「わたしは仕えられるために来たのではなく、仕えるために来た」は、本校に学ぶすべての生徒達に、身につけてもらいたい生活姿勢です。そのためにはキリストに注目し、キリストの愛を自分の心の中で思いめぐらしつつ、仕える愛を実践してみよう。そして愛することにおいても成長するように、様々なボランティア活動(生徒会活動や福祉活動、また礼拝での奉仕活動)や献金活動に、進んで参加していきましょう。

「信」は神様を信じることです。現代の日本人の多くは信仰を軽視しながら、その一方で大変な数の信仰団体に関係しています。それは信仰が安易に現世利益(政治権カ獲得利益、拝金主義的経済利益、出世という自己満足利益、健康第一という安楽生活利益)のためとなっているからではないでしょうか。そのような風潮の中で、時間を超え、現象を趨えた、永遠なる真理の信仰を考え、自己の人生の確かな土台を作り出すために、礼拝と聖書の授業を活用してほしいと思います。

「義」は正義のことです。価値観の多様化と言われる中で、価値観の中心ともいえる善悪(罪)が全く不透明な時代になりました。それだけに聖書の学ぴは、この暗闇に輝く光を私たちに与えてくれるでしょう。そして勇気を持って正義を貫く人、社会に巣くう様々な偏見に負けることなく、かえってそれらを正す人へと成長してもらいたいと願っています。 以上、我が校のキリスト教教育の中心を概略してみました。建学の精神であるキリスト教にふれ、みなさんの学園生活がさらに豊かに実りあるものになるように祈っています。