学校案内 キリスト教教育

CHRISTIAN EDUCATION

 キリスト教教育

自分自身と向き合うこと。他者を尊重すること。
現在にこそ真に求められるキリストの精神。
Knock,
and it will be opend to you.
ー「門を叩け、さらば開かれん。」ー
新訳聖書「マタイによる福音書」より

聖望学園は、キリスト教の教育理念に基づいて運営されているミッションスクールです。 日々の学校生活の中で、聖書の御言葉・礼拝時の講話・讃美歌などに触れ、精神や心のあり方を高めていく時間を積み重ねていきます。

キリスト教教育とは

キリスト教は、一人ひとりが神様に愛されている大切な存在であり誰もが神様から能力と才能を与えられていると教えています。
本校はその教えに基づき、礼拝や聖書の授業を通し、生徒が自分の可能性を最大限に生かし社会に貢献できるよう導いていきます。

敬・愛・信・義

兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
(ローマの信徒への手紙12章10−12節)

「敬」とは神様を敬うことです。神様は大自然の全てと人間を創造され、人間を導き救う根源者です。自然界の精緻な美しさは、その造り手である神様の偉大さを示しています。それ故人は昔から自然を敬い大切なものとしてきましたが、私たちはさらにもう一歩踏み込んで、まず、全ての造り主にして根源者なる神様を正しく敬うことこそが、私たちのなすべき第一と考えます。このことを会得するために学校礼拝があります。そして神様を敬うとは、まず神様の御心・ご意志を、聞くことではないでしょうか。そこで礼拝時には必ず聖書が読まれ聖書の説きあかしがされていくでしょう。この時間を学園生活の中で、最も大切な時間とししてほしいと願っています。

「愛」とは、自分を愛するように人々を愛することです。聖書では「愛」を「仕えること」とほとんど同義に用いています。私たちが全世界の人々と、この地球において平和に生き願うとき、「仕え合う愛」なしに共存することはできないでしょう。イェス・キリストが言われた言葉「わたしは仕えられるために来たのではなく、仕えるために来た」は、本校に学ぶすべての生徒達に、身につけてもらいたい生活姿勢です。そのためにはキリストに注目し、キリストの愛を自分の心の中で思いめぐらしつつ、仕える愛を実践してみよう。そして愛することにおいても成長するように、様々なボランティア活動(生徒会活動や福祉活動、また礼拝での奉仕活動)や献金活動に、進んで参加していきましょう。

「信」は神様を信じることです。現代の日本人の多くは信仰を軽視しながら、その一方で大変な数の信仰団体に関係しています。それは信仰が安易に現世利益(政治権カ獲得利益、拝金主義的経済利益、出世という自己満足利益、健康第一という安楽生活利益)のためとなっているからではないでしょうか。そのような風潮の中で、時間を超え、現象を趨えた、永遠なる真理の信仰を考え、自己の人生の確かな土台を作り出すために、礼拝と聖書の授業を活用してほしいと思います。

「義」は正義のことです。価値観の多様化と言われる中で、価値観の中心ともいえる善悪(罪)が全く不透明な時代になりました。それだけに聖書の学びは、この暗闇に輝く光を私たちに与えてくれるでしょう。そして勇気を持って正義を貫く人、社会に巣くう様々な偏見に負けることなく、かえってそれらを正す人へと成長してもらいたいと願っています。 以上、我が校のキリスト教教育の中心を概略してみました。建学の精神であるキリスト教にふれ、みなさんの学園生活がさらに豊かに実りあるものになるように祈っています。

聖書と礼拝

“沈黙の時間”を、果たして現代人は持っているのでしょうか。静かに自分を見つめること、神の声に耳を傾けること、讃美歌を歌いその意味を味わうこと。本校で行われる礼拝を通して、これらのことをぜひ体験してほしいと考えます。

ルーテル教会と聖望学園

アメリカのミズーリ派ルーテル教会の支援を得て、キリスト教主義を建学の精神に掲げています。校章は、マルチン・ルターの家紋である薔薇に心を表すハート、キリスト教の象徴である十字架をモチーフとして生まれました。

マイケル・ピースカー

チャプレンからのメッセージ

周囲の人に認めてもらえなくても、それでも自分は価値ある存在なのか。困っている人がいれば、自分はどうすれば良いのか。失敗したら、どのように立ち直れば良いのか。嫌なことをされた相手を許すのか許さないのか。キリスト教に関心があってもなくても、私たちは日々の生活の中でこのような課題を抱えながら歩んでいます。本校のキリスト教教育は、共にこのような課題を考え、それに対して自分の価値観や方針を身につけることを手助けすることです。それによって日常生活にある課題や困難をうまく切り抜けることができる生徒を育てていきたいと思います。